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原田哲也
'93 ライディングスポーツ No129 10月号
サンマリノGP
片山敬済以来のワ−ルドチャンピオン目指して快走した。
原田選手のヘルメットを担当する事になったきっかけは、やはり若井選手のすすめがあったからだろう。

93年WGP250クラスに初挑戦し年間4勝でチャンピオンを獲得した原田哲也選手は全日本当時から天才といわれていた。

92年からデザイン及びペイントを任されていたが、それ以前のデザインがカッコ良く、またヤマハワークスライダーとして活躍していたので、当初かなりのプレッシャーがかかった。

デザインのオーダーを受けたのが確か91年のシーズンの終わる前だったように思う。
何枚デザイン画を描いたかわからない。モチーフはすぐに思い付いたのだが、それをつめる作業が難航した。この頃、デザイン画は全て手描きであり、カラーコピーを看板屋さんに借りにいっていた。
緻密で正確なライディングのイメージから時計のムーブメントをデザイン化した。
最初は複雑すぎて捕らえ所のないデザインになってしまった。結局、時計のギアの部分のみを顎からサイド部分と前頭部の左右に配置、ヘルメットのシールドホルダーから後頭部にかけてはバイクのエキパイをイメージしたラインで構成した。

92年に入り、チーム体制やテストスケジュールなどの日程が決まりはじめ、デザインの納期もギリギリになっていた。それでも思うような物が出来ず、焦る日が続いた。
とうとうデザインを提出する日になってしまったのだが、実はまだ完成していなかった。当日は原田選手本人がデザイン画をとりにくる事になっていた。
大袈裟に言うと原田選手が事務所のドアを開けるまで、デザイン画を描いていたと言って良い。
既に何回か会社には来て頂いていたので初対面ではなかったが、デザイン画の不安と緊張でバクバクだった。
しかし、気が抜ける程すんなりデザインは決まった。どっと疲れが出た。

原田選手のレースでの活躍は言うまでもないので、ここでは敢えてかかない。
それより彼のプライベートをちょっと紹介したい。自分の見た原田選手は、その後WGPでクールデビルと言われるようになった彼のイメージとは違う雰囲気があった。
シーズンオフやレースの合間などで、時々、会社(当時はイーグルジャパン)に遊びに来た原田選手は、作業中のスタッフにどーも゛と、あの高い声で声をかけ、そのまま資料用としてストックしてある膨大なレース雑誌を何時間も見ていった。
別に何をしに来たわけでもなく、ただ本を見ていた。ほとんど彼の図書館のようだ。 またあるときは自分が千葉の某デパートに買い物に言った時など、エスカレーターの踊り場付近で順番を待っていると突然後ろから膝カックンをされた。誰だと思ったら原田夫妻であった。

またすごく律儀なところがある。97年にヘルメットのデザイン変更をし、こちらの担当では無くなったのだが、後頭部に入っているネームデザインは、引退するまで引き続き使用していた。またレーシングスーツ、マシンのスクリーンなどにも統一して使用して頂いた。

2002年の引退後にMFJの年間表彰式でお会いした時、その話をさせてもらったが、その時も丁寧にお礼を頂いた。クールなイメージの実は暖かい人である。
'94ライディングスポーツ
N0132 1月号 表紙
93年WGP125坂田和人選手ランキング2位 同年WGP250原田哲也選手チャンピオン。
資料協力:ライディングスポーツ
若井 伸之
坂田 和人
原田 哲也
阿部 典史
加藤 大治郎
上田 昇
宇川 徹
アレックス・クリビーレ
玉田 誠
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